2025年12月21日

幻の都と言われた恭仁京を知っていますか?

恭仁京(くにきょう、またはくにのみやこ)は、奈良時代に聖武天皇が一時的に遷都した短命の都城です。正式名称は「大養徳恭仁大宮(やまとのくにのおおみや)」で、現在の京都府木津川市加茂町瓶原(みかのはら)地区に位置します。「久邇京」とも表記されます。歴史的背景遷都の経緯: 天平12年(740年)、藤原広嗣の乱や天然痘の流行、地震・飢饉などの災厄が続いたことを受け、聖武天皇は平城京(奈良)を離れ、東国行幸の後に恭仁京の造営を開始。12月に遷都を宣言しました。平城宮の大極殿や回廊を移築する大規模工事を行いました。
都としての期間: わずか約4年(740〜744年)。天平16年(744年)に難波京へ、さらに天平17年(745年)に平城京へ戻りました。未完成のまま廃都となったため、「幻の都」と呼ばれます。
重要な出来事: この時期に発布された主な施策国分寺・国分尼寺建立の詔(741年)
墾田永年私財法(743年)
大仏造立の詔(745年、ただし実際の造営は紫香楽宮や東大寺で)
これらは奈良時代の仏教国家政策の転換点として歴史的に重要です。

遺跡の特徴恭仁宮は平城宮を簡略化した規模で、南北約750m、東西約560mの長方形。朝堂院や内裏が配置されましたが、条坊制(碁盤目状の街路)は未完成。廃都後、大極殿は山城国分寺の金堂に転用され、七重塔なども建てられました。現在の恭仁宮跡(山城国分寺跡)は広大な草原で、大極殿跡や七重塔の巨大な礎石が残っています。国の史跡に指定されており、最近(2025年12月19日、文化審議会答申)では特別史跡への指定が見込まれています(京都府内では69年ぶり、京都市外では初)。場所と地図木津川市南部、三方を山に囲まれた盆地にあり、木津川が南を流れる理想的な地形でした。復元想像図当時の大極殿院の様子(復元イメージ)。現在は静かな遺跡公園で、四季の花(コスモスなど)が美しく、散策におすすめです。発掘調査が続き、新たな発見も期待されています!

posted by 京都丹波亀岡ニュース社(kyotokame) at 08:57| 日記
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