それは、世の中が尊皇攘夷の思想で、長州藩が朝廷や天皇に直訴するため、京都にある京都御所で幕府軍と京都の蛤御門で戦闘になります。
長州藩の来島又兵衛(きじままたべい)や久坂玄瑞(くさかげんずい)等の猛将、知将により、京都御所内に長州藩が侵入しました。
しかし、朝廷を守っていた京都守護職の会津藩と薩摩藩に逆襲をうけます。
特に薩摩藩の西郷隆盛の活躍で、長州藩の大将が討ち取られ、総崩れとなりました。
この争いを禁門の変又は、蛤御門の変と呼ばれています。
京都を守ったのが西郷隆盛ということで、京都と西郷隆盛は、深い係わりがあったのですね。